次の デジタルスタンプのポイントは
旧名手宿本陣
妙寺 から 名手 12分 210円 のところです

初めて降りる駅
そこにある 旧本陣
調べてみると 本陣が駅の近くにある
旧本陣だから 古い方ですね
近くには 道の駅 青洲の里もあるんだと
でも近いと言うのは 車での話
歩いてそこまで行けないぞ
世界初の全身麻酔手術に成功した江戸時代の外科医、華岡青州を顕彰する複合施設。
青州ゆかりの見学スポットをはじめ、地元物産ショップも設けられています。
近隣には青州の妻・加恵の実家で、名手宿本陣となった妹背家も。
住所紀の川市西野山473
そう書いてあっても
駅前の地図に無い所はパス

本当に古い駅
そんな駅にこんなポスターが
角濱のごまどうふ 大覚総本舗?
なんとなく 京都っぽい名前です総
そうか 高野山のごま豆腐だ

そして こんなのが
間の悪いツッコミと
車内の大騒ぎは
困りもの
関西人以外に こんなポスター見せても……

近隣の路線図を見ながら

JRで天王寺に行くにも ここからだと
和歌山経由でなく 大和高田経由の方が近いんだ
時間はかかるんだろうけどね

では 駅から 歩きましょう
まず本陣はこちらの方ですね
本陣から 旧本陣に行きますか…
ところが

この家が古そう
でも 表札も 看板も無い

窓が開いていると言うことは 誰か住んでる?
と言うことは空き巣の下見じゃないか…

この辺り 古い家ばかりで
どれがそうなのかわからない
そのうえ最近の観光客は
ナビの付いた自家用車だから 案内板がない

道路には こんなタイルだけあるけれど

あの家じゃないよなぁ…

これも個人の家だよね

一体どこに行けばいいんだ
しかたなしに スマホで確認しようとしたら
つながりが遅くって

スマホ見ながら 写真撮っていたら
なおさら 空き巣の下見じゃないか
家の前に出てきた ばあちゃんたちから
だんだん 変な目で見られてきたんじゃないか??

こんな小さな庵があった
その前の門には 蛭子大神宮の文字が
蛭子 (ひるこ)は日本の神話に登場する神様。 蛭子神 (ヒルコの神)や、 水蛭子 (ヒルコ)と書くこともあります。 この神様、実は手足がありません
『古事記』において国産みの際、イザナキ(伊耶那岐命)とイザナミ(伊耶那美命)との間に生まれた最初の神。しかし、子作りの際に女神であるイザナミから先に男神のイザナキに声をかけた事が原因で不具の子に生まれたため、葦船に入れられオノゴロ島から流されてしまう。
そんな神様なのですが それを大神宮と書くのががまた 気に入らない壁ぎわですから
顔つきも悪くなっていたのでは…

これはいけない 本当に警察にでも電話されたら
正式な書類もかけない 下っ端の警察官の
横柄な態度での職務質問が 大嫌いな壁ぎわですから…
これを見つけたホッとした壁ぎわでした
同じところ二度三度と回っていたら
危なかったかもね
ただ この看板も 教育委員会さんよ
入場無料の下には 名手宿本陣
その横には
重要文化財 名手本陣妹尾家住宅
そして 史跡としては
旧名手本陣
統一してくれよ…
和歌山線沿線
紀ノ川に沿って電車の走るところ
そう早くも無い電車が 一時間に一本だけ
線路はほとんど真っ直ぐなのですが
奈良の王寺と 和歌山市を結ぶのですが
この土地の人は ほとんどが車ですね…

そんな所です から 駅もこじんまりと

もちろん無人駅です

そんな所に 国が金を落とそうとしたら
治水整備 一級河川の 環境開発です
妙寺駅から南 かつらぎ公園
運動場や公園 体育館
そしてその管理施設まで
そして その時 潤った金で
こんな物を作りたがるんですよね
淡路島でも 加賀温泉でも
馬鹿でかいものを作り あとで困っているじゃないですか
ここでのスタンプの目的地は
平和記念像……
ここのは そう馬鹿でかくはありませんが
そのうちに 三面記事ぐらいにはなるかな??
では向かいましょう
駅前から徒歩で数分
でも 次の電車は 一時間後ですから
ちなみにこの駅で降りたのは 私とあと二人だけでした
地元民ですね

駅前の観光物産センター
物産ねぇ…
駐車場 一日300円 月決めだと 3000円です
ただ 公園まで行けば 河川敷だから駐車場きっと無料だろうなあ

町の大きさを計るのに
駅前通りにある旅館
もちろん町一番の旅館です
その横に第一生命のビルが
三階建てですね…

近くてよかった
なんて立派な体育館でしょう
そして横のあれですね

まずは体育館か公民館か知らないが
カーテンの見学でも
紫外線でだいぶ色あせてますね

体育センターご利用時間 9時から12時 13時から17時 18時から22時
休館日 月曜日って 管理する人いるのだろうか
町役場の人間? 公務員??

キッズスペース 無料だって
素晴らしい事じゃありませんか
褒めることは褒めておかないと…

こちらの噴水は
詰まらない程度に水を流しているの?

では 目的の 平和記念像に 御対面です

手前にあったこれは 平和の礎
平和の礎(へいわのいしじ)は、沖縄県糸満市の平和祈念公園内に設置されている慰霊碑が有名ですね
戦没者 149,611人の名が彫ってあるのですが…
また和歌山には 市内に
和歌山県平和会館・和歌山県忠霊塔と言うjのがありますが…

太陽光発電で
10年ぐらい過ぎると 誰が後の管理をするの?

平和の鐘 これも有りがちですが

かつらぎ公園と ネット検索してもなかなか出て来ない
かつらぎ公園平和記念像と検索して
ようやくこんなページが見つかったのですが

こどもの遊具が有るだけで

写真では読めるのですが アップすると 読めませんね
本堂内の「本尊」は
都合により かつらぎ町妙寺区内
遍照寺に 移動いたしました

昭和45年の第二期工事で 完成以来店……
平成26年 財団法人平和記念協会の解散以来
任意団体 平和記念協会の所有物件となっておりますが
その責任者などの 銘記が無い状態です……

二月度 臨時休館
誰が張りに来るんだろう

平和記念碑と言う これには
知事の名が書いてありますが
これも どこが金を 出したのやら…
早い話
河川敷に 残されたお荷物一つ見つけた
それを JRに委託された会社が 観光目的に使えると思ったのか??

世界遺産の町と人を呼ぶための
かつらぎ町のマップにも

かつらぎ町の案内どころか
かつらぎ町の ホームページにも ここの紹介は無くなってました
かつらぎ西公園は別の場所ですから

駅まで帰り 和歌山線独特の 案内板
電車は 一番前の扉しか開きません

無人駅では
降りる方以外、乗る方もです
ホームにも 一か所だけ 乗車位置と書いてありますから

でも この駅から乗る人もほとんどいませんでした
駅のベンチで 最後の 柿の葉寿司喰ってました…
GPSチェックで スタンプだけは ゲットしました
11:57 橋本到着
橋本は 高野山のふもとにあり
JR和歌山線と 南海高野線が 交差するところ
和歌山の 辺鄙な田舎町ですが
南海高野線快速急行で 大阪なんば迄 45分 700円で行く事が出来ます
車で通り過ぎた事は有るけれど
ここの駅で降りるのは初めてです

これが駅前の風景

その店の前まで来て振り返ると

きれいになった駅舎が有ります
では この地のポイントは
応其寺 徒歩5分です
と言うことは 15分で帰って来れば
12時30分の 和歌山行に乗れますね
時間が余るようなら 立ち食いうどんぐらい喰えますね

徒歩五分 応其寺
夕べ布団の中で 周囲の地図なども 頭の中にたたき込んでおいたので
初めての土地も 何とかなるでしょう…
そう思っていたのですが
山の中のこの土地 坂が多すぎて 思うように真っ直ぐ行けませんね

それでも何とか到着です
思ったより 小さな寺ですね

それよりこれ
門に柵をつけ 縄を張り 立ち入り禁止にしてあるの
やっぱり 裕治伯爵病の祟りか
そう思ったのですが
横には 入れるスペースがあり
まがまがしい物の 進入を防ぐものだったのですね

この寺は 橋本開基の恩人木喰応其(もくじきおうご)が荒れた里寺を再建したものです。
木食応其(もくじきおうご)とは
安土桃山時代の真言宗の僧で、出家前は六角氏に仕える武将、出家後は外交僧・勧進僧・連歌学者として活動した。法名を応其、字を順良、房号を深覚と云い、深覚坊応其と称す。木食は木食行を修めた者への称で、木食応其は通称。
天正元年(1573年)に38歳で高野山において出家し、宝性院の勢誉から受戒、名を応其と改めた。小瀬甫庵の『信長記』では出家は25~6歳の頃であるとしている。また高野山入山のおり、十穀を絶つ木食行を行うことを発願している。応其は「客僧」という立場であり、学侶や行人、高野聖とも異なる存在であった。
また密教大辞典では天下人から厚遇を受けた政遍からも戒を受け、仁和寺宮仁助法親王より三部の大法を受け、阿闍梨にのぼったとされている。

応其上人は、高野中興の祖でもあり豊臣秀吉の紀州征伐から高野を救いました。
応其上人はこの地に町を開き、紀の川に橋を架けました。
これが橋本の地名の由来となりました。
説明にはそれらが書いてありました

いまでは この橋本の町 高野山のふもとの 真言の寺として
ひっそりといしているだけの様です

中も 広くはなく

写真を撮って回るにも 数分で終わりました

では戻りましょう

ついでに言うなら 応其上人は 歌人でもあったようです
こんな石碑もありました

ただ 駅まで戻ると 何だこいつは
まことちゃんで グワシ だったかな
楳図かずおがこの地の出身だったようだ

十分に時間が余った
立ち食いうどんか コンビニでも良いけど…
どちらも無かった
有ったのはこれだけ

これでもいいか

一時間に一本の電車ですから

間に有って良かった
とりあえず 一人宴会でも しましょうか
土地の中学生くらいの 子どもたちに
冷ややかな目で見られてました

向うは南海高野線 大阪なんばへ
こちらは 和歌山線 和歌山へ
距離はほとんど変わらないんだけど 44キロと 42.4キロ
あちらの方が 圧倒的に乗り降りする人は多かったですね
向うは45分で 大阪なんばへ 特急指定券が 520円余分に要るけど
快速急行なら 700円で 一時間だね
こちらは70分かかって 和歌山に行く路線ですからね
距離は向うが 値段と時間は こちらの方がかかるんだぞ…
負け惜しみにもなりませんね…笑
バスの本数の少ないところで
行程を組むのは大変です
それが 日に三本なら なおさらです

万が一 時間より早く来られたら たいへんですから
まずないのですが…
10分前に バス停に着いたのですが 雨が降りだしました
そしてバスも10分遅れて来て…
何だこの運の無さは
裕治伯爵病か……?

バスに乗って ほっとしています
ワンマンバス
しかし…
中型バス 最近 運転手横の席がなくしてあるんだよね

山の上のバス停です
山の上のくせに 大きなビルがあるぞ

バスセンターでもないのに

バスのロータリー まであるぞ
ここは 〒649-6493 和歌山県紀の川市西三谷930
近畿大学 生物理工学部 ですね
近大は どんどん大きくなってますね
南紀には 近大マグロの養殖場もありますから
岩出の復興の為に
バス路線まで大きく 蛇行させられています

細い路地を抜けて 普通車でも擦りそうな角を曲がると

岩出の駅に着きました

有人駅で みどりの窓口もありました…
が 券売機と 出入り口も 自動化されていました
いつでも無人化できそうな駅でした
ただ 近大に行くバスが出来たので 人が要るんでしょうね

田舎には珍しい エレベーターホール付きの
連絡通路が有りました
和歌山線の 他の駅では ホームを反対に行くのは
ほとんどが雨に当たる 歩道橋の 陸橋なのに

近代化されたホーム
2両編成の ワンマンカーだけでなく
4両編成の電車も停まり
すべての車両のドアが開くのですね
そうしないと通学時間大変ですから

奈良の王寺まで行く電車です

バスだけでなく 電車も ワンマンカー
ICOCAはタッチするのですが
今日の私の切符は見せるだけ
通すところはありませんでした

高野口 橋下駅管轄の無人駅
雨にあたる 歩道橋の有る 無人駅です

45分の電車の旅 13駅 切符を買えば590円
橋本駅 到着でした
ここまで来るだけなら 南海高野線の方が早いんだけどね
本坊から 光明殿 行者堂 聖天堂 と内部を見たら
叱られないうちに 表に出てきました

あれがさっき歩いた 光明殿に続く廊下ですね

外側から見た 光明殿
光明真言殿(重要文化財)略して「光明殿」といい。
現在は開山興教大師覚鑁のご尊像を安置し、
左右には歴代藩主・座主の位牌を始め信徒の位牌が祀られ
、日夜回向がなされています。 令和元年に重要文化財

その横に 役行者を祀る 行者堂があり
その横には 聖天池に浮かぶ 様に建てられた 堂で聖天尊を安置しています。
この堂正面の朱塗の壇が有名な「根来塗」で室町時代から伝わっているものです。

見方を変えるとこんな感じ
ここからさらに 左奥に行くと

九社明神
根來寺の草創当時から豊福寺の鎮守社です。
丹生大明神(にう)・
高野大明神(こうや)・
伊太祁曽大明神(いたきそ)・
御船三所大明神(みふねさんしょ)・
金折六所大明神(かなおりろくしょ)・
金峯山金剛蔵王(きんぷせんこんごうざおう)・熊野三所権現(くまのさんしょごんげん)・
白山妙理権現(はくさんみょうりごんげん)・
牛頭天王八王子(ごずてんのうはちおうじ)を祀っています。

昔は神仏一体であり
また 大きな寺にも 又 城にでも
鎮守するお社が作られてました

それがこの社なのですね

もどって 聖天池 越しに見た風景

ここに手水舎が有りました

そしてこの 鐘楼門が
やっぱりこちらが この寺の正面だったのですね

説明書きもありました

その門から出て 振り返ると…
確かに正面でした
ということは 駐車場側のバス停から来たのは
近道? 裏口から入ったようなものでした
だから 参詣順路を 逆に回っていたのですね
根本大塔を 本堂の後に回っていたとは…
なんたる不覚…
何処が信心深いだと言われそうです

帰りはこちらからにしますか
これが 入場券売り場

そして 何かの石碑と 地図が…

もみじ谷公園
公園の散策はもういいよ

そして無料駐車場の看板が
すぐそこが バス停です
今日は ゆっくりと 寺の見学をしてみました
それもこれも
8時44分 について 10時26分 まで 次のバスが無い
そんな空通網の 悪さも有ってなのですが
でも
久しぶりの 心の洗濯でした
裕治伯爵病の逃げていく 強い心と体に ならなければなりませんから
せっかく朝一番の根来寺まで来たのですから
ここにもお参りしておきましょう

奥の院へと続く道
お地蔵さんに 帽子がかぶせられてました

あの奥が 奥の院です
なだらかな スロープの突当りでした

ここ根来寺を作った
覚鑁(かくばん)上人の御廟所です

あれ!? どうした
祟りか
それとも裕治伯爵病が カメラにまで感染したのか??

何とか元に戻りました
これも 信心深い壁ぎわの徳ですね
勝手に言ってろ!
そんな声が 聞こえた気がしました
南大師遍照金剛 南大師遍照金剛 お題目を唱えて 戻りましょう

根來寺を開かれた、興教(こうぎょう)大師・覚鑁(かくばん)上人の御廟所・お墓です。
康治2年(1143年)12月12日に入滅され、ここにお眠りになっています。
御廟の橋手前左右の墓地は歴代の座主、長老の墓所です。

奥の院から戻り 続いてはここです
中に入らせていただきましょう
本坊 寺務所の入り口です

寺務所の 売店??と

休憩室??

セルフですが お茶の用意もございます

そして 勝手知ったる何とかで
ここの拝観コースです

先の休憩室の 奥の部屋
名勝庭園に向かっての部屋です

廊下で 光明殿 行者堂 聖天堂と 繋がっています

こちらが 光明殿
さすがにここから先は
は撮影できませんから

行者堂と聖天堂の間の 渡り廊下から見た 聖天池です

お参りを済ませて戻ってきました

ではこちらのお庭を 建物の中から 眺めましょう

飛び石と庭の砂利の刷毛目が…

天井を見ても

部屋の角から庭を見ても

池のしつらえも

つくばいも

落ち着きますなぁ
ここで 濃い茶でもいただけたら…
般若湯でも かまいませんが…
そんな事思っているから
睨まれたように見えるんですよね
叱られぬうちに 表に出ましょうか…
和歌山の旅に戻ってきました
根来寺です 前に来たのは さくらの季節でした

この橋の手前で 入山料 500円を払い 入ります
べつにスタンプラリーは GPSでチェックするだけなので
金を払って入れなくても良いのですが
この寺には 見るだけの 価値が有りますから
しかし 入れるのが 9時からと思っていたら
9時10分からでした 資料館よありがとね

寺は好きですが
でも
石段は嫌いです…

そしてここを通ると 境内です

正面が 大伝法堂

根来寺の本堂です
根来寺の本堂である大伝法堂は1827年に再建されたもので、
中には尊大日如来、金剛薩埵、尊勝仏頂の三体が安置されており、国の重要文化財の指定を受けています。

ここから入ります
ではお参りしましょう

本堂を 左手から見ると こんな感じです
そして 4月になると この桜も満開になるのです
こうしてみると 70万石も有った 領地が
ツワモノどもの夢の後ですね

振り返ると そこには根本大塔が
この形の塔は 真言の寺ではよく見かけますね

国宝の大塔の正式名称は「大毘廬遮那法界体性塔」であり1899年に木造大塔として唯一の国宝に指定されている貴重な文化財です。
高さ37m、横幅15mの巨大な建造物である大塔は、真言密教の教義を目に見える形として表現したもので、中に入ってお参りすることができます。
大塔を訪れた際に注目してほしいポイントは、今も残る戦国時代の戦いの傷跡です。豊臣秀吉に攻められた際の弾痕が今もはっきりと残っています。

高野山を出た覚鑁は、大伝法院の荘園であった弘田荘の豊福寺に拠点を移し、道場として円明寺を、住居として密厳院を建てたという。それらを中心として各種堂宇や子院が整備され、現在に通じる根来寺の一山が形成された。その後根来寺は数多くの学僧を抱える学問寺として発達し、最盛期の安土桃山時代には300から400もの子院を抱える大寺院にまで成長していた。僧侶達は武装して僧兵となり、根来衆としてその名を轟かせていたという。しかし、その勢力を危惧した豊臣秀吉は天正13年(1585年)に根来寺へと攻め込み、その堂宇は大塔と大師堂のみを残して全山焼き払われてしまう。
残った大塔が 国宝に指定されているのです

本堂をお参りして
大塔(多宝塔)に来たのですが
参拝順路は 多宝塔が先なんですか?

大伝法堂が 本堂ですから 最初にと思ったのですが
根本大塔は 根来寺全山の 宗教的 真髄なんだと

マップを見ても 上の段の 中心に位置してますね

そう思うと 御姿が…

そしてこちらが 大師堂です

また大師堂には、弘法大師の像が所蔵されており、内部の須弥壇と合わせてこちらも国指定の重要文化財に指定されています。
だからお参りの言葉も
南無阿弥陀仏でも南無妙法蓮華経でもありません
南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)ですね
和歌山の旅の記事を書いてますが
旬の記事を 入れてます
毎年恒例の 今朝絞りの会です
酒蔵で今朝絞った酒を飲む会です
蔵元さんも その年の 良い状態の物を
責任を持って朝一に絞って 酒屋さんが運んでくれるのです

蔵元から直接個人的に分けてもらい
居酒屋を借り切って 毎年行っている Mさん ご苦労様です

滋賀県高島町の蔵の酒です

今朝絞り このラベルを作る間が有るので
数日まえに 酒は生き物ですから
蔵の威信をかけた酒を 朝一に絞るのです
たいへんですなぁ…

毎年 場所を提供している 居酒屋さん
それなりに 貸し切りなので料理にも凝って作ってます
ビールは無し
この日は 一人4合瓶一本
呑み残れば持って帰れます

さかなは 酒に合う あてのみ

いろいろと 出てきます

そして 話のタネに
寝かせた 以前の朝絞りの 味比べも

こういう味比べ 面白いですね

〆は 揚げ持ちを浮かせた汁

三つ葉タップリで

それに カツオの角煮と からすみで作った炊き込みご飯
これにも三つ葉タップリで

炊き込みご飯にも
三つ葉がタップリ嬉しいですね

デザートは
パンナコッタにイチゴを乗せて
杏仁豆腐かと思えば 嬉しい誤算でしたね
春の呑み会 今年も出来ました
去年は 秘密の場所で 弁当と酒でしたからね
和歌山の旅の記事の途中ですが
春のネタは春にアップしておきましょう
兵庫県阪神地域の 春の名物 いかなごのくぎ煮です
昔は毎年作っていたのですが この10年ぐらいで 値段が 8倍ぐらいになり
佃煮にするのをあきらめてていたのですが
たまに売れ残りの半額が有ったりして
前回作ったのが この時です
2016年だったんだ…

さすがに大きい ふるせですね
苦みが出てないと良いのですが

ショウガの輪切りと 醤油200cc ザラメ 250g 酒と みりん 50ccです

大きな鍋に入れて
ザラメを煮溶かしていきます
水分が無くなった時に ザラメが飴状になり
釘煮の固さが出てくるのです

常に沸騰した状態で 煮詰めます
タレが沸騰したら 少しづつ入れていきましょう

アルミホイルで 落し蓋をして
箸で混ぜると 折れてしまいますから

水分が無くなってきたら

鍋をほふるように 上下を返します

水分を飛ばさなきゃなりませんが
焦がすと苦みが出てしまいます
ぎりぎりのところまで頑張って

最期は容器に入れて 最後の水分を飛ばします

鍋を一度綺麗に洗って また 一キロ炊いて行きます
二キロ一度に炊く人凄いですね
こんなにきれいに返せるのでしょうね

二キロ目も出来あがり
近所のスーパーでは 17日で いかなご終了しましたと書いてありました
そう言えば昔は炊いて欲しいと いかなご持って来る人いましたね
今は高いから 炊く人も少なくなりましたね