戦争の跡  裕治伯爵と行く九州の旅⑧


九州を旅していて 戦争の色の見えているところに立ち寄った

裕治伯爵に教えてもらったのだが

何と言う 馬鹿な事をまともに 訓練していたんだろう


山口を旅していた時にも

関門海峡を通る イギリスの舟に砲撃して

ぼこぼこに射撃されて白旗揚げたのも忘れ

目の前まで敵国艦船がきても まだ反撃をしようとしていた
竹やりで米兵が上陸しても 
反撃しろと教育されていたのも同じですね

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田舎の、こののどかな 湾に


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特攻殉国の碑と言うのがありました


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特攻って

爆弾を積んだ 飛行機で体当たりする 桜花

爆弾を抱いて 魚雷艇で体当たりする 回天

お国の為にこの命捧げますと 旅立って

ほとんどが 果たせずに 無駄死にしたと言うが

それ以前 訓練中に亡くなった人の方が多いんだと

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こんな看板がありました


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よく見ると信じられない言葉が

「震洋」特攻隊は 日本海軍が大東亜戦争末期、万策尽きながら最後の期待をかけた部隊である

秘密の水上特攻兵器 震洋艇
ベニヤ板製の高速小型モーターボートの艇首に 250キロ爆装


小島に掘ったトンネルに身を隠し

敵艦が来たら体当たりせよと


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防御網切断機と

ロケット砲二門積んで

利用することは無かったそうだが…


これと共に 海中で呼吸ができるようになるガスを吸い

槍の先に爆弾をつけ 海中を歩いて 
船底から穴をあけ撃沈すると言う訓練をして

何人もの訓練兵を死なせたと言う話もあるとか



日本帝国の上層部は何を考えていたのだか



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それに命を落とした 当時の若者たちの霊に

深々と頭を下げたくなりました

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こんな感じで飾られ 祀られているのでしょうか

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この 小島の多い土地の この美しい水の中で

いくつの魂が 上の人間を信じて 報われぬままに散って行ったか

また一つ心に刻む 壁ぎわでした。




私は戦争に反対です








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震洋

余り
知られていませんが
多くの基地が造られました。
当時の事ですから
正確な事は分かりませんが
震洋の関係者だけで2500人以上が戦死したとか。
(終戦末期の期間だけなのに)
アメリカの資料によれば
損害は
上陸艇←(戦艦ではない)
4艇とか。
大空襲
原爆投下の悲劇はもちろんですが
このような
事実も忘れてはいけないと思います。

裕治伯爵さん

砲弾の届かない高さからの大空襲
それでも 上を向けて撃ち続けた日本軍 届かない玉がまた落ちてくるのも気にせずに…

其れだけでなくこんなところで命を落とした若者たち 忘れてはならないことですよね
プロフィール

壁ぎわさん

Author:壁ぎわさん
呑んで 食べて 旅の好きな 関西人です。

その他、芸能、音楽、時にはお座敷遊びまで
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