国王神社と南帝陵
南北朝の時代
源平の合戦が終わって
源氏が鎌倉幕府を作ったのも長続きせず
今度は 南北朝の時代を迎える
京都と奈良吉野に 都を構え 争った時代の話です

南朝は押され押されて 南下したと
その時の言い伝えの土地で
歴史を調べても こちらに来とは書かれている物は無いのですが
それでも 言い伝えか
この地に陵があります

そして 南帝陵 御首塚と言うものが
南帝陵前回の記事

はたしてここに眠っているのだろうか

この塚 苔むした石段の上にあります

しかもこんなに高い所

その下にあるのは この石積み

この神社の石積みです
名は国王神社
前回は この前まで車で来れたのですが
今は生コンの会社を通らねば来れない
しかも生コンの会社が閉まっていたので 車では来れ無くなってました
この十津川系の道路工事のためにできたような
利権バリバリの生コン会社です

舞台

本殿
雪深い所なので 本殿脇社が
大きな屋根の下にあります

狛犬に守られた本殿

鳥取を反省して 神社にはしっかり手を合わせましょう
国王神社と言う名も 南陵帝と言う名も
裕治伯爵病には 効き目がありそうですから

鈴を鳴らして
お参りしたのですが

この金色のカギが不似合いだなぁ
お祭りしてあると言うより 閉じ込められてないかな

そして 脇社にも

シッカリとお参りしていくと

一番端っこにあるこれは?
ストーンヘンジでもないだろうが
何か意味があるのかな

そして境内の端にあるこの石碑
文化7年(1810)林に生まれる。幕末文久3年(1863)8月
、天誅組の変起こり、十津川はこの挙兵に参加を求められ、即刻これに応じた。
しかしこの時為之進は、
河内の上田主殿と共に、天誅組主将中山忠光に会い半日議論したが、
遂に意見合わず 別れた、穏健派だったのである
と、反逆者の名をもって天ノ川本陣、鶴屋治兵衛邸で
先陣の血祭りとして斬殺された。

辞世
“国の為仇なす心なきものを
仇となりしは恨みなりける”
天誅組の変により、十津川は幾人かのかけがえのない人材を失ったが、為之進もまたその1人である。
こんな天誅組
大政奉還の 少し前に
尊王攘夷と称して
やりだしたものが 歴史に名を残せると
立ちあがった 今で言う詐欺集団
華やかな口車に乗せられ
それに付き従った 昔の民
先走って血走って 散って行ったものたちの歴史
再び読み返さなくては
そう思いますね

そんな事を思わせてくれた 国王神社に別れを告げて
先に進みましょう

だからこの下の道は通れず
この歩道の坂道を上りました

所処にあるこのダム
治水と発電目的ですが
その下には どれだけ利権が埋まっているのでしょう
此処と十津川はまだ奈良県
ほぼ工事が終わりかけている
ほんぐうから先は 紀州路 和歌山県です
そこは…
ドン 二階の お膝元ですけど…
それが何か??
源平の合戦が終わって
源氏が鎌倉幕府を作ったのも長続きせず
今度は 南北朝の時代を迎える
京都と奈良吉野に 都を構え 争った時代の話です

南朝は押され押されて 南下したと
その時の言い伝えの土地で
歴史を調べても こちらに来とは書かれている物は無いのですが
それでも 言い伝えか
この地に陵があります

そして 南帝陵 御首塚と言うものが
南帝陵前回の記事

はたしてここに眠っているのだろうか

この塚 苔むした石段の上にあります

しかもこんなに高い所

その下にあるのは この石積み

この神社の石積みです
名は国王神社
前回は この前まで車で来れたのですが
今は生コンの会社を通らねば来れない
しかも生コンの会社が閉まっていたので 車では来れ無くなってました
この十津川系の道路工事のためにできたような
利権バリバリの生コン会社です

舞台

本殿
雪深い所なので 本殿脇社が
大きな屋根の下にあります

狛犬に守られた本殿

鳥取を反省して 神社にはしっかり手を合わせましょう
国王神社と言う名も 南陵帝と言う名も
裕治伯爵病には 効き目がありそうですから

鈴を鳴らして
お参りしたのですが

この金色のカギが不似合いだなぁ
お祭りしてあると言うより 閉じ込められてないかな

そして 脇社にも

シッカリとお参りしていくと

一番端っこにあるこれは?
ストーンヘンジでもないだろうが
何か意味があるのかな

そして境内の端にあるこの石碑
文化7年(1810)林に生まれる。幕末文久3年(1863)8月
、天誅組の変起こり、十津川はこの挙兵に参加を求められ、即刻これに応じた。
しかしこの時為之進は、
河内の上田主殿と共に、天誅組主将中山忠光に会い半日議論したが、
遂に意見合わず 別れた、穏健派だったのである
と、反逆者の名をもって天ノ川本陣、鶴屋治兵衛邸で
先陣の血祭りとして斬殺された。

辞世
“国の為仇なす心なきものを
仇となりしは恨みなりける”
天誅組の変により、十津川は幾人かのかけがえのない人材を失ったが、為之進もまたその1人である。
こんな天誅組
大政奉還の 少し前に
尊王攘夷と称して
やりだしたものが 歴史に名を残せると
立ちあがった 今で言う詐欺集団
華やかな口車に乗せられ
それに付き従った 昔の民
先走って血走って 散って行ったものたちの歴史
再び読み返さなくては
そう思いますね

そんな事を思わせてくれた 国王神社に別れを告げて
先に進みましょう

だからこの下の道は通れず
この歩道の坂道を上りました

所処にあるこのダム
治水と発電目的ですが
その下には どれだけ利権が埋まっているのでしょう
此処と十津川はまだ奈良県
ほぼ工事が終わりかけている
ほんぐうから先は 紀州路 和歌山県です
そこは…
ドン 二階の お膝元ですけど…
それが何か??
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