十津川 民俗資料館と道の駅
今回 十津川 湯泉地温泉を訪ねたのは
もう二か所 訪ねてみたいところがあったのです
年に 3回も4回もここに来ていて
まだ行った事の無い 私の興味を引くところ
もちろん 昨日の記事の 千慶も行きたいところですが
それは懐の具合が許さないので
そう 今も 今後も……(涙)
と言うことで
私の行ける範囲での所です

その一つがここ
この川を渡った突き当り

この一段高い所にある白い建物

十津川歴史民俗資料館です

今まではこの長い石段が嫌で避けてました
でも前回来た時に
次回は上がってみようと思い立ったのです
国王神社の 南帝塚や
天誅組の事が調べたくて…

風呂上がりなのに…
(そんな事 資料館にとっては関係ないのですが )
ぶつぶつ文句を言いながら
ようやく長い石段を上り終えて
建物に 入ろうとしたら
まだ階段が有った…
喧嘩売ってんのか

入口でも
昔のものしか置いてませんが
どうぞ”十津川らしさ”を
見つけて行ってください
普通の観光客なら ちょっと粋な言葉をを思うだろうが
歴史民俗資料館なんですから 昔の物だけでしょう
その上 完成した 模型や 新たな構想なんて無いんだよな
それに こんな事書く資料館は 無料の所が多いのに
金取るんだったら
言い訳にしかならないぞ
だいたい長い石段上るところは
神社だって 寺だって 境内は無料なんだから…
ぼやきながら 300円払って 入りました
有料の所は お茶の接待ぐらいあるぞ ⇐まだ言ってる
十津川歴史民俗資料館ホームページ

入って 写真撮影はと聞くと
一階は自由 二階は禁止ですと
もともと 役行者からの
山伏の住む地だったようです

ここのマスコット 郷士君
この地の人は 郷土のもののふ
その気になってたんでしょうね
南北朝の時代から
尊王攘夷の時代
天誅組から 坂本龍馬の暗殺と 天満屋事件まで
名わき役として登場したのを誇りにしているようです
たとえぼ
天誅組に応援の手土産に血祭りにされた玉堀為之進
坂本龍馬暗殺に来た族が 十津川郷士を名乗った
そして
坂本龍馬の敵討ちに 良馬と親交のあったと言われる 居合いの達人であったといわれる中井庄五郎は敵討ちとして
、海援隊の陸奥陽之助(のちに宗光)らと共に、
当時暗殺の黒幕であると噂された紀州藩士 三浦休太郎が天満屋にいるところを襲撃。(天満屋事件)
一番に乗り込んだであろうとされる庄五郎は、新撰組に斬りつけられ討ち死に。
龍馬のために命を賭けた男は享年21。若き命を散らした庄五郎は、
今でも京都霊山の龍馬のお墓のそばで幕末の志士たちと共に眠っています。

田舎の様子が忠実に

でも こんなに広かったのか

そして十津川出身の 歴史(自慢?)
こうしてみると 何とか事件ばかりやん

違うのも あったけど

山籠
だれを乗せるんだろう

階段で二階に上がると
撮影禁止の文字が

代わりにこれで
天誅組に 応援する 血判書
この地の 大切な歴史遺産でも
名前もわからず 別に見たからと言って……
もっと 南北朝の戦のあと落ち延びた民とか
天誅組とのかかわりとか
そのあたりの事を 判りやすくパネルで 展示してあっても良いのに…
それとも学芸員はいないの?

隣の建物は 綺麗なスロープまでつけて
隣の石段と大違いやん
そう思ってみてたら
出動のパトカーが出て来ました
此処には喧嘩売るのやめとこう…

向かいにある 道の駅 十津川郷には 足湯も有り

二階には 行仙という蕎麦屋も有ります
一時は手打ちの蕎麦を
出していたことも有った店です…

一階の土産物やでは
干し鮎と こんなのが好きで…
でも このよもぎもち 餡入りではなかったので…

刺身こんにゃく きくらげ
山の幸ですね
ここに来たら フグ酒ではなく
鮎酒 楽しみたいので
鮎の焼き干し求めて帰ります
ではそろそろ時間も良い事ですし
食事処へ向かいましょう
もう二か所 訪ねてみたいところがあったのです
年に 3回も4回もここに来ていて
まだ行った事の無い 私の興味を引くところ
もちろん 昨日の記事の 千慶も行きたいところですが
それは懐の具合が許さないので
そう 今も 今後も……(涙)
と言うことで
私の行ける範囲での所です

その一つがここ
この川を渡った突き当り

この一段高い所にある白い建物

十津川歴史民俗資料館です

今まではこの長い石段が嫌で避けてました
でも前回来た時に
次回は上がってみようと思い立ったのです
国王神社の 南帝塚や
天誅組の事が調べたくて…

風呂上がりなのに…
(そんな事 資料館にとっては関係ないのですが )
ぶつぶつ文句を言いながら
ようやく長い石段を上り終えて
建物に 入ろうとしたら
まだ階段が有った…
喧嘩売ってんのか

入口でも
昔のものしか置いてませんが
どうぞ”十津川らしさ”を
見つけて行ってください
普通の観光客なら ちょっと粋な言葉をを思うだろうが
歴史民俗資料館なんですから 昔の物だけでしょう
その上 完成した 模型や 新たな構想なんて無いんだよな
それに こんな事書く資料館は 無料の所が多いのに
金取るんだったら
言い訳にしかならないぞ
だいたい長い石段上るところは
神社だって 寺だって 境内は無料なんだから…
ぼやきながら 300円払って 入りました
有料の所は お茶の接待ぐらいあるぞ ⇐まだ言ってる
十津川歴史民俗資料館ホームページ

入って 写真撮影はと聞くと
一階は自由 二階は禁止ですと
もともと 役行者からの
山伏の住む地だったようです

ここのマスコット 郷士君
この地の人は 郷土のもののふ
その気になってたんでしょうね
南北朝の時代から
尊王攘夷の時代
天誅組から 坂本龍馬の暗殺と 天満屋事件まで
名わき役として登場したのを誇りにしているようです
たとえぼ
天誅組に応援の手土産に血祭りにされた玉堀為之進
坂本龍馬暗殺に来た族が 十津川郷士を名乗った
そして
坂本龍馬の敵討ちに 良馬と親交のあったと言われる 居合いの達人であったといわれる中井庄五郎は敵討ちとして
、海援隊の陸奥陽之助(のちに宗光)らと共に、
当時暗殺の黒幕であると噂された紀州藩士 三浦休太郎が天満屋にいるところを襲撃。(天満屋事件)
一番に乗り込んだであろうとされる庄五郎は、新撰組に斬りつけられ討ち死に。
龍馬のために命を賭けた男は享年21。若き命を散らした庄五郎は、
今でも京都霊山の龍馬のお墓のそばで幕末の志士たちと共に眠っています。

田舎の様子が忠実に

でも こんなに広かったのか

そして十津川出身の 歴史(自慢?)
こうしてみると 何とか事件ばかりやん

違うのも あったけど

山籠
だれを乗せるんだろう

階段で二階に上がると
撮影禁止の文字が

代わりにこれで
天誅組に 応援する 血判書
この地の 大切な歴史遺産でも
名前もわからず 別に見たからと言って……
もっと 南北朝の戦のあと落ち延びた民とか
天誅組とのかかわりとか
そのあたりの事を 判りやすくパネルで 展示してあっても良いのに…
それとも学芸員はいないの?

隣の建物は 綺麗なスロープまでつけて
隣の石段と大違いやん
そう思ってみてたら
出動のパトカーが出て来ました
此処には喧嘩売るのやめとこう…

向かいにある 道の駅 十津川郷には 足湯も有り

二階には 行仙という蕎麦屋も有ります
一時は手打ちの蕎麦を
出していたことも有った店です…

一階の土産物やでは
干し鮎と こんなのが好きで…
でも このよもぎもち 餡入りではなかったので…

刺身こんにゃく きくらげ
山の幸ですね
ここに来たら フグ酒ではなく
鮎酒 楽しみたいので
鮎の焼き干し求めて帰ります
ではそろそろ時間も良い事ですし
食事処へ向かいましょう
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