大音と賤ヶ岳 スクーターで琵琶湖へ

琵琶湖の北側に余呉湖と言う湖があります

このあたりは養蚕と琴の糸を作ったりしているところで

大音の座繰(おおどのざぐり)と言う名で呼ばれていました

水上勉氏の『湖の琴』と言う小説で舞台になっているところです



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北陸道の木之本IC しかしながら 125ccのバイクでは入れません




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大音区史跡名勝案内図

大音と言う地名に惹かれたのですが

琴の糸より 賤ヶ岳の古戦場を描いてますね



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賤ヶ岳の戦い(しずがたけのたたかい)は、天正11年(1583年)、
近江国伊香郡(現:滋賀県長浜市)の賤ヶ岳付近で行われた

羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)と織田家最古参の重臣柴田勝家との戦いである。

この戦いは織田勢力を二分する激しいものとなり、
秀吉はこの戦いに勝利することによって亡き織田信長が築き上げた権力と体制の正統な継承者となることを決定づけた。

賤ヶ岳の戦いで 先陣を切り武勲を上げた 七本槍と言う話がある
福島正則、加藤清正、加藤嘉明、脇坂安治、平野長泰、糟屋武則、片桐且元

がそうなのだが、もともと領地を持たずにのし上がった 豊臣秀吉であるから
自分の部下をほめたたえるときに使ったのだろうと言われている


今 七本槍と言えば

富田さん処の 旨い地酒の名前に残っているのが 一番です

富田酒造ホームページ



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さて どこに行きましょう

そう思って色々探していたら


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この地図では  賤ヶ岳の古戦場まで リフトで行けるんだ

そう思いますよね


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ところが リフト乗り場が無い

正確に言うと

リフト乗り場は この登山口から 少し上った所でした


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山の中に リフト乗り場がありました

そして 私が切符を買うと 動き出しました

往復で800円ですと  下り歩いて帰ってもよかったんだけれど…

無理だと思ったんでしょうね……  くそっ‼


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最初はなだらか

下には カキツバタが 咲き乱れています


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これも植えたんですね




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リフトの山上駅に着きました


ボランティアの 杖貸し出しますと書いたところや

風光明媚な賤ヶ岳 とか書いてありましたが

よく見ると 展望台まで 300mと


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300mぐらいと 気軽に 杖も借りずにスタートしてみたが

すぐに足が言うことを聞かなくなり出した

長命寺の階段も 100段ちょっとでふうふう言ってたもんなぁ

ここが100mぐらい言ったところの祠です


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なになに ふむふむ

読んでるふりをして 周囲に居る人をごまかす

って 誰もいないけどね


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この山道と言う奴は 少しののぼりでも続くと厄介ですね

それが所々 傾斜がきつくて


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それでも何とか到着

展望台にはカップルがいたので 裏をぐるりと

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史跡賤ヶ岳七本槍古戦場

その言葉は良いけれど

琵琶湖八景  新雪の賤ヶ岳の大観

これは雪で白くなったこの山の姿だろう

頂上に上がって山は見えないから ここのふもとから見る景色でしょう


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そんなこと考えながら 琵琶湖の北にある小さな湖

余呉湖を見下ろす壁ぎわでした


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標高421.13m 三角点を制覇です


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しかし 戦の時には こんな格好でこの山を走り回っていたのでしょうね

そう リフトが無かったんだから……

リフトに乗ってきても 壁ぎわはこんな感じでした


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おおきな湖 琵琶湖の方に降りましょう


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再びリフトに

上の方は傾斜がきついですね


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ようやく花のある方に まだまだ 植えていくんでしょうね


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もう少しこのあたりを回ってみましょう


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西光寺

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昔 浄明寺という 真言宗 弘法大師ゆかりの寺があった

また 西には西光寺、東には東光寺と言う寺があった

賤ヶ岳の戦いで 焼け落ちて 浄明寺は本尊さんまだけが何とか残ったと言う話がありました


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つづいて こちらの神社には

伊香具神社です


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中の本殿よりも


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この馬に注目です

賤ヶ岳合戦史より

毛受兄弟は、兄を茂左衛門、弟を勝助といいます。勝家を越前へ落ち延びさせるため、
金の御幣の馬印を掲げて身代わりとなりました。

秀吉も、主君の身代わりとなってここまで戦ったことに感動し、
その亡骸を手厚く葬り、僧に弔いを依頼したといわれています。


その時の様子をうかがわせる神馬です

今度は誰かとゆっくり歩きたい湖北の風景でした
















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Author:壁ぎわさん
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