熊野本宮  紀伊半島縦断の旅⑨


ここに来ている日本人の観光客に聞いてみたい

ここに何しに来たの?

そしてここはどこでしょう?

答えは……



外国人は 世界遺産などは まず下調べしてからくるから

ある程度は知っている 

そうでなければ わざわざこんな山奥に来ないよね


 

『♪ ~ お伊勢7たび 熊野にゃ 3たび~  』

と唄われたほど、憧れの聖地だったところです




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こんな看板に 奥熊野ほんぐう

なんてあるから 観光地と立ち寄るだけの人も多いようです


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道の駅があって


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こんな展示もされているのですが

藤原の定家自信を知らなければ 話になりませんよね


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こっちは興味を示しても


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こっちは …… 何バーセントの人が見るんだろう



熊野本宮

まず熊野三山とは

熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社を合わせて熊野三山といいます。

熊野の神々は自然信仰に根ざしていましたが、
奈良~平安時代にかけて熊野は仏教・密教・修験道の聖地ともなり、神=仏であるという考え方が広まりました。

その影響を受けた三山は結びつきを深め、同じ12柱の神々(=仏たち)をおまつりするようになります。

熊野三山の神秘性はますます高まり、

平安時代の末には「浄土への入り口」として多くの皇族や貴族がお参りするようになりました。

浄土へお参りし、帰ってくるということは、死と再生を意味します。そのため熊野三山は「よみがえりの聖地」として、今なお多くの人々の信仰を集めています。



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当社の主祭神は、家津美御子大神(スサノオノミコト)です。


歴史を遡ると、古代本宮の地に神が降臨したと伝えられています。

三本の川の中州にあたる聖地、大斎原に社殿が建てられたのは、飛鳥時代(615年)のことでした。奈良時代には仏教を取り入れ、神=仏としておまつりするようになります。

平安時代になると、皇族・貴族の間に熊野信仰が広まり、京都から熊野古道を通って上皇や女院の一行が何度も参拝に訪れました。

室町時代には、武士や庶民の間にも熊野信仰が広まっていました。男女や身分を問わず、全ての人を受け入れる懐の深さから、大勢の人が絶え間なく参拝に訪れる様子は「蟻の熊野詣」と例えられるほどでした。

明治22年の大洪水により、大斎原は大きな被害を受けました。当時は能舞台などもあり、今の8倍の規模を誇っていましたが、明治24年に上四社が現在地へ移されました。
今、大斎原には中四社、下四社、境内摂末社の神々がおまつりされています。



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現在の本殿はこの奥


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この階段の上です


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階段途中の ここをお参りしてから


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ここが本殿の門




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ここから先は撮影禁止でした

お参りを済ませて

国道の反対側 世界遺産センターには

色々の解説物が置いてあります


ただ  カメラの調子が悪くって



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本宮の案内や


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ヤタガラスの人形が 少しくらいとピントが合わない…

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こんなん食べてやろうと思ったけれど

店が満員で入れない





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カメラだけじゃなく

壁ぎわも 調子が悪くなりそう

ちょっとだけ 休憩



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ちょうど見えた大斎原の大鳥居に 手を合わせましょう

この地が 上が降臨した場所だったのですね















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非公開コメント

No title

ココの参道の石垣の奥にヒカリゴケが・・・ 見つけましたか

がにちゃん

それは知りませんでした
それに もし書いてあったりすると

三国人が我先にと 取っていきそうですからね
プロフィール

壁ぎわさん

Author:壁ぎわさん
呑んで 食べて 旅の好きな 関西人です。

その他、芸能、音楽、時にはお座敷遊びまで
色んな事を精一杯楽しんでます。

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